随想

月日は文字通り「瞬く間」に過ぎますが、世の中の変化は個人が感じる変化よりもはるかに速いと言われています。従って、新しい仕事を始めても、個人レベルでは、あるいは組織レベルでも、容易に追走状態になってしまう・・・。新天地を切り拓こうとする先端科学技術の分野ではその傾向が著しいように思えます。それ故に、仕事はスピード感を持って進めることが必要ですが、果たしてそれだけで新天地は拓かれるのでしょうか?そのような視点からシンクロトロン放射光の産業利用にまつわる私の見聞と経験を書こうと思います。

シンクロトロン放射光(以下、放射光と略記)の産業分野への応用は、1976年IBMのE.Spiller達がDESY(ドイツ)で放射光を用いたX線リソグラフィ実験を行ったことが大きなきっかけとなりました。さらに1978年Stanford Univ.のB.M.Kincaid達がSPEAR(米国)で放射光を用いたXAFS実験を行い、アモルファスや多結晶状態の半導体材料評価に威力を発揮することを示し、産業界にも大きなインパクトを与えました。このような背景の下で放射光の半導体産業への役割が期待され、1980年代に入り、日本のPhoton Factory(以下、PFと略記)や米国のNSLS等の放射光施設に民間企業が専用ビームラインを設置し、本格的な産業分野への応用が始まりました。 

私も、当時勤務していた会社で1983年からPFに専用ビームラインを設置するプロジェクトに加わり、全体設計と立上げを行い、1985年に本格稼働しました。その位置付けは、製品開発に資する材料評価、計測技術、加工技術等を開拓するための研究基盤でした。材料評価に加えて、製造現場で使う薄膜検査装置などの実用化に必要な条件出しが行われ、また、放射光X線を細く絞る技術や位相を使って高コントラストで三次元観察を行う技術などが次々と生まれました。ちょうどその頃、日本は欧米から基礎研究ただ乗り論で責められ、企業も持てる技術力で基礎科学に貢献しようと頑張りました。一方で、1985年の為替レート安定化に関するプラザ合意、それに続くバブル経済とその崩壊があり、経済状況の劣化を上回るスピードで産業の再生を図るために、従来にも増して研究開発分野の貢献とそのスピードが「要求」されることになりました。 

さて、上述の専用ビームラインが本格稼動を始めた翌年の1986年、IBMのJ.G.BednorzとK.A.Mullerによる高温超伝導体の発見があり、私達も当時の世界中の研究者と同様に、急遽、プロジェクトを組み、試料(図1の構造を持つ高温超伝導体YBa2Cu3O7-δ)を極低温に冷やして超伝導状態(図2で体積抵抗率がゼロの状態)にし、放射光で構造や電子状態の分析を行いました。当時、産学官の研究者の多くは、材料、計測、理論を問わず高温超伝導体の研究に走りました。
 
これが人材育成そのものとなり、その後の日本の厚い材料研究を支えていると言われています。この時の研究は目の回る速さで進み超伝導メカニズムの解明と実用化に向かいました。しかし、二十数年後の今日、まだその本丸は思ったほど簡単には落とせないようです。本丸を抜くにはスピードよりも強烈な意志と集中力を持つ若手研究者の活躍が期待されます。野球選手がヒットを打つ瞬間はボールが止まって見えるそうです。研究者の場合も、まさに研究が核心に迫りつつある時は、時間が止まって感じられるものです(気がついた時はアッと言う間に時間が過ぎていますが)。
                               
さて、その後、X線リソグラフィの研究開発は、従来の光リソグラフィ分野の変身が速かったため、主役の座を占めるには至っていません。一方、材料評価は、上述の高温超伝導体やそれを含むペロブスカイト系材料、巨大磁気抵抗効果を示す薄膜、高誘電率ゲート絶縁膜、蛍光体材料、希土類磁石材料、構造材料、フラーレン、カーボンナノチューブ、グラフェン、太陽電池材料、二次電池や燃料電池材料、排ガス浄化触媒や化学品製造触媒、機能性高分子薄膜や液晶材料など日本の産業発展を支える材料が続々と出現してきたため、放射光は必要不可欠となっています。とりわけSPring-8の稼動(1997年)により放射光利用技術に革新がもたらされ材料評価も飛躍的に進みました。
 
ところで、基礎研究ただ乗り論を指摘された頃の企業の基礎研究は、その後一体どうなったのか、基礎も応用も進めて新天地を目指したはずでした。現実は、厳しい経済状況と試練が続き基礎研究の看板を掲げている企業は最早ほとんど見当たりません。しかも、ただ乗り論を指摘した欧米では、既にその頃(1980年代中頃)から、同一機関で基礎も応用も進める方式とは異なる強力な産学連携による分業方式を推進し現在に至ります。例えばよく知られているようにインテルには研究所が無く、強力な産学連携によって研究開発が進められています。 
 
今後、スピード感を持って仕事を進めるだけでは、新天地を拓くことはできないと思います。研究開発の仕組みについての創意工夫が大切です。欧米のやり方を睨みつつ先手を打つ、すなわち”経済的効果と科学的成果が相互に尊敬の念を持って融合される仕組み作り”が重要です。良い知恵を出すには人材育成に遡ることも必要だと思います。何れにせよ、外的圧力やその対策に翻弄される中で、新天地を目指して問題の核心を射抜く強烈な意志と集中力を発揮したいものです。

           

当研究センター(2006年開所)でも、放射光利用の主役の座は上記の材料・物質群が占めています。ここでは、たまたま材料にかかわる話が主となりましたが、我が国における放射光の利用は、当研究センターを含めて、エネルギー、環境・資源、バイオ・健康、農水産、微細加工分野などにも広がっています。このようなあり方は欧米に先駆けるものです。このような分野の課題の核心を突き着実に解決して行くことが、新天地を拓くことにつながっていくと確信します。
 
 

 

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