追悼


 

    

  上坪宏道初代所長には、2017年11月13日に逝去されましたことを、謹んで皆様に申し上げます(享年84歳)。ここに哀悼の意を表しますとともに、上坪初代所長(以下、上坪先生と記します)との想い出を綴り、追悼の言葉とさせていただきます。 

 上坪先生に初めてお目にかかったのは1988年12月22日です。その日、先生は、私が勤めていた企業の研究所に調査のために来所されました。たまたま上司が先生と大学時代の同級生であったご縁で、私も運良くお話をさせていただく機会を得ました。先生は、当時、理化学研究所に勤務され、後のSPring-8計画を推進するために日本原子力研究所と理化学研究所が1988年10月に結成した共同チームを率いておられました。私は高エネルギー物理学研究所のPhoton Factoryに専用ビームラインを設置し、研究基盤を構築する仕事に従事していましたので、貴重なご意見を頂戴することができました。その時の上坪先生は、快活にお話をされる中で、時折、何事かを考えておられるご様子でした。そのことについて、後日、先生ご自身が当研究センター発行のSAGA-LS WEB Magazine(Vol.2, No.1 June 2009)に執筆された「光跡」の中で、次のように述べておられます。「私たちが提案した大型放射光施設計画(後のSPring-8)を予算化するにあたり、国は委員会を作り、さまざまな問題を検討しました。産業利用の可能性も検討されましたが、当時最も期待されていた半導体リソグラフィについて、聞き取り調査に訪問した大企業研究所の幹部には否定的な見方が多くて困惑したことを覚えています」。実際、放射光が従来のリソグラフィ光源に置き換わることはありませんでした。一方で、先生は、企業の放射光へのニーズは半導体材料の評価を含めて数多くあることを、調査等を通じてご承知で、広く産業利用にも門戸を開放されました。リソグラフィの例で示された通り、通説や専門家の説を鵜呑みにされず、仮説の設定、実験(調査)、検証という研究手順そのままに、新しい道を拓いて行かれたのだと思います。 

 その後、私自身も、企業13社が発足させた産業用専用ビームライン建設利用共同体の一員としてSPring-8に2本の専用ビームラインを建設し、1999年7月から実験を始めました。上坪先生には、その計画段階から実験まで、産業利用の実を挙げるように折に触れて叱咤激励いただきました。とくに、2001年8月に第1回の研究発表会をSPring-8で開催した折には、カンカン照りの暑い中を出向いて来られ、大変喜んでいただいたことを鮮明に覚えています。 

 2006年7月からは、縁あって上坪先生が所長をされていた当研究センターのお世話になり、副所長としてご指導をいただきました。先生は非常勤で、月数回東京から研究センターに来られ、仕事については勿論のこと、昼食の弁当を食べながらご自身の体験を含めてお話を伺いました。先生は北海道旭川でお生まれになり、中国東北地方(旧満州)で終戦を迎えられ、大混乱の中を命懸けで逃れて親族のおられた佐賀県に無事帰国されました。そのお話をされる時は普段と違う低い声でした。人間と社会の深淵を覗かれたのかも知れません。その後、現在の佐賀県立鹿島高等学校に通われ、1952年4月に東京大学に入学されました。常々、「私は、佐賀県に一宿一飯の恩義があるのですよ・・・」と仰っていました。 

 私が研究センターに着任した時は、これから新しい地域指向の放射光施設を作り上げていく草創期の緊張と不安の中で、上坪先生が先頭に立って次々と押し寄せる案件を捌いておられました。佐賀県や財団関係者にとっても初めてのことばかりで、上坪先生だけが頼りであったのです。あるとき、私から「研究センターのあり方にとって重要なことは何でしょうか?」とお聞きしたことがあります。お答えは「存在感を示す」ということでした。存在感とは何か、私なりに考えた結論は、世の中の重心がどこにあるかを事実にもとづいて認識し、そのポイントを押さえた上で運営することが「存在感」に繋がる、ということです。狭い、或いは固定された視野から見える世界のみに拘ることは、結局、「存在」そのものを危うくすることを、先生は思春期における戦後体験から十分ご存知だったのではないでしょうか。 

 紙数が尽きつつありますが、先に述べた半導体リソグラフィに関する後日談を紹介します。2012年頃のことですが、半導体産業では従来のリソグラフィの限界を越えるために、大パワーの極端紫外線(EUV)光源が求められていることを先生にお話しました。それに対して先生は、「今の放射光源は、世界中、電子ビームを細く絞る方向一辺倒であり、それは大変重要ですが、私は、EUVリソグラフィにも使える大蓄積電流の光源加速器を是非とも検討する必要があると思っています」と言われました。その実現に向けて、机上検討を始められた矢先に怪我をされ、そのままになってしまったことは非常に残念です。上坪先生が、いつも「現実を柔軟かつ的確に見据え、今何が必要で、次に何をなすべきかを考える」という姿勢を持ち続けておられたことが忘れられません。
先生が最後に研究センターに来られたのは、2015年3月31日の所長退任式でした。2016年2月8日の研究センター開所10周年記念式典(鳥栖市内で開催)にも出席されましたが、ご体調により研究センターには来られませんでした。これからは天空から研究センターの前途を見守っていただきたいと思います。 

 想い出は尽きることがないのですがここで筆を置きます。上坪先生、本当に有難うございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

合 掌
2017年12月

 

 上坪宏道初代所長

 

故 上坪宏道初代所長のご略歴・受賞歴

1933年 2月 7日    ご出生

1961年        東京大学大学院数物系研究科物理学専攻博士課程修了
                理学博士

1961年        東京大学物性研究所助手

1971年        理化学研究所主任研究員

1976年        東京大学原子核研究所教授兼理化学研究所主任研究員

1981年        理化学研究所主任研究員

1989年        理化学研究所大型放射光施設計画推進室総括主幹

1991年        理化学研究所大型放射光施設計画推進本部本部長

1991年        科学技術長官賞(科学技術功労者表彰)受賞

1992年        理化学研究所理事

1998年        財団法人高輝度光科学研究センター副理事長兼放射光研究所所長

1999年        紫綬褒章受章

2001年        財団法人高輝度光科学研究センター副会長

2002年        佐賀県経済部参与

2003年        (独)理化学研究所和光研究所所長兼中央研究所所長

2004年        (財)佐賀県地域産業支援センター
                   九州シンクロトロン光研究センター所長

2006年        (独)理化学研究所特任顧問

2015年        (財)佐賀県地域産業支援センター
                   九州シンクロトロン光研究センター所長退任

2015年        同上 最高顧問就任

2017年        同上 最高顧問退任

2017年11月13日 ご逝去

 

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